「Clafu」を観る。サービスレビューしてみます。
どうも。F.です。いやはや、ずいぶんと最近冷え込みますねぇ〜。
プログラミングする手がかじかみそうで困っております。
さて、そんなあなたに、作ったすぐのサービスや、書いたブログ記事を拡散するサービスをご紹介します。
それが、
Clafu - これでもアクセスが増えなかったらもう諦めよう!
です。
ちなみに、私がGoogle+で仲良くさせて頂いてるtakahara kouさん作成者のサービスです。ほかにも、PluCial - Google+を起点とした新しいソーシャルライフの形をあなたになど作られてます。
素晴らしいですよねぇ。ってことで、私がClafuについてどう思ってるのか、ここでズバッと、両視点からきちんと冷静に語らせていただきたく存じます。作らねぇのに語るな
感じ
ふむ、個人的にはなかなか素敵なサービスだと思うわけですよ。
みんなの力を、みんなのためにと。
これまで埋もれたきた、本当の意味での最良コンテンツが表に出てくる機会が増えるのです。素敵なことでしょう。
ただ、自分で自分のコンテンツを素晴らしいと信じ切って、なのにアクセスが得られない人も、当然、いらないコンテンツを流すのです。
僕は、その線引きは人によって違うし、難しいと思ってます。
サービス自体は素晴らしいと思ってます。なかなか良いデザインかつ、コンセプトも素晴らしい。機能面でも、人のコンテンツを自分が納得したうえで参加し、協力すると自分のコンテンツの紹介もできるわけです。
ただ、そのうち、なりふり構わずハートをつけ、自分のコンテンツをテキトウに拡散するひとも出てくるでしょう。
じつに、人の良心にかけてる、危険な面も持っているわけです。これを使うことにより、良いプロダクトが多数の邪悪な精神に隠されてしまうこともあるかもしれません。
すごく難しいサービスですね〜。早速不正も発覚したぐらい、期待度が高く、また危険なのです。
それは、使い方を人の良心に頼ってるから。
ある意味、それは、より良いコンテンツがもっと拡散されるヒントでもあります。
私は、このサービスを、自分の仲の良い人が協力していたら、参加するような、そういう使い方よりも、本当に良いと思ったものに参加するほうがいいと思います。徐々に、良くないコンテンツは協力を得られなくなり、消えていくでしょう。
また、その良くないコンテンツ同士で公開し合っても、その中でしか結局は公開されないのです。意味がないです。
うん、なんか、喋ってるうちにやはり素晴らしいプロダクトだと再認識できました。
みなさん、自分のコンテンツに自身のある方は、ぜひ、利用してみてください。
ある意味で、あなたのコンテンツが本当に価値があるのか調べるきっかけになるともいえます。
ちなみに、私は、使う気はあまりありません。多くの人の目に触れることが目的ではなく、その価値を本当にわかってくれる人、必要としている人に、僕が直接届けたいからです。と、自分のコンテンツに自信がないことをさらっとフォローするうまい表現ができたと満足しております。
では。
おわり。