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「楽しさ」って何なんだろうね。

今日Macを  に渡して、ああ、ついに彼もMac初心者だな、そしてまた一人俺は林檎崇拝主義教育者をつくちゃったんだなと思ったのだけど。
なんかそんなこと考えてたら、Mac触りたての自分を思い出しちゃった。
最初、XPから初Macにした時、俺はMBA Mid 2011を買ったんだ。理由は、外見がすごくカッコよかった。あと、Googleについてのテレビ番組だかYouTubeだかを見た時、社員がMBA 11inchをバランスボールに乗りながら使ってて、なんかすごくそのすがたに憧れたんだよね。
Macを使うことって、なんか誇らし事かもって思えて。光るAppleマークのついたノートパソコンを膝に乗っけられるっていうことが。

んで、買ったわけで。でもその前はWindows最高、MacのOSは使い物にならんとか吹き込まれてたから、すぐにBootCampでWinをいれちまおうと思ってた。
でも、その頃Appleとかをよく知らない俺は、WinをbootcampっていうとタダでWinが使えるようになるんだと思ってた。でもOSを買ってこなきゃって知って、なんかめんどくさくて、それまではMacをそのまま使ってみるかとか思って。
そうしたら、初めのころ、シャットダウン=システム終了なことを知らなくて。でも理由はすぐにわかった。
パタン、と閉じた時の快感さ。片手でディスプレイが開けられるデザイン。そして片手をかけて、見えるところまで開けた時にはもう起動している(スリープ解除)。

俺はここでMacに惚れた。
Winのころは、毎日使ってはいたが、スリープが何のためにあるのかよくわからなかった。全部いちいちシャットダウンしていたし、多くの作業をWalkman Zでやっていたから、プログラミング以外は開くことがなかった。
なぜMacはスリープが基本とされ、推奨されているのか?

確かに、OSが優れているのもあるだろうし、便利だからなのもあるだろう。
だが、それ以上に、「使っていて楽しい」と思えるパソコンなんて、Macぐらいではないのか?
毎日スリープで、顔を見たくなるようなパソコンなんて、Macぐらいではないか?

それはある程度パソコンの域に入った人なら楽しいかもしれない。でも、そうじゃなく、一般の、そんなに使わない人も楽しいと思える。簡単であるとか、そんなことではなく、使っていて楽しい。
だから、ユーザーの間で自然に、Appleがスリープになる事を見越してかどうかはわからないが、スリープがデフォルトになっていったのではないか。
事実、俺は自然と365日毎日のようにスリープになっていき、今も変わらない。


そんなことを考えた。だから、俺は今日、MBAに感謝の意も込めてYosemiteを入れた。
もうディスプレイが4/1ぐらい使えなくて、不便かもしれない。でも、その裏には、今でも楽しかった思い出しかない。
スキー場での極寒の中、使われたMBA。海辺の砂浜で、写真を見せるために使ったこともあった。

そんな、楽しさを与えてくれた俺のMac初代機に、俺は本当に感謝しなければならない。

彼がいなければ、QUEENsyaはこうならなかった。
一人一人に合うものを用意し、この時間のなさを解消する。この理念は確かに、俺が小5の時に、まだMacを持っていない時に生まれたものだ。
でも、正直、ありえないと思っていた。そんな世界。一人一人に合うものを作ったって、その空いた時間がどうせもっと忙しくなるのだろうとわかっていた。

でも、俺は、彼なら、Macなら解決できる気がする。

前に、本当に便利さを求めることが正しいのか?とつぶやいた。
俺は、結論として、便利さじゃなくて、楽しさを求めるべきだと感じた。
デザインも、今や数値化されてきているのだから、それにのっとるべきだという記事を見た。
本当にそうなのか?

僕は、違うと思う。
統計が正しい?たしかに、Googleは今回、W杯を当てた。
でも、統計でも当たらない、1%の領域が、この世界にはあると思ってる。
その世界を作り出せるのは、いや、作り出してきたのは、Appleじゃないのか?

だから、俺は、QUEENsyaをそのまま掲げ続けた。
Design For Reworld。

世界は変わるべきではない。よくなるべきなんだ。生物がみんな、みんな、笑って過ごせる地球になるために。